Holy Rollerz of Heaven & Hell

6月に入り、まだちょっと肌寒いが、太陽のありがたみを感じながら本日はベランダでブログを書こうと思いついた。
基本的に日曜日はほとんどのお店は定休なんで、ハッキリ言って時間を持余します。
逆に言うと、僕もこうしてゆっくりと物を考えたり、精神を休めながら次の作品の展開やテーマ―を練ったりする事も出来る。重要な時間であって、決して無駄とは思えなくなって来たのも不思議な事です。忙しく振り回っていた僕にしては。。。

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そして今日の昼は山を探索。近くにいながらコンベンションやスタジオの行き来でたまにしか行けない。ご近所夫婦と愛犬を連れての3人で行ってみた。
お二人とも英語は通じない。ただ、不思議な事に長い時間一緒に居ても話題は尽きないし、コミュニケ―ションは取れる。
僕の聞き取り&会話が上達してきたのも確かにあるとは思うんだが、まだまだ伝えたい事の30%(またはそれ以下)くらいしか出来ないのも事実だし、かと言って黙ってしまったら覚える機会をを失ってしまうんで言える範囲の知っている少ない言葉を使う。
そうして山道を歩きながら、この土地の風習や文化、言葉の意味等を色々と聞きながら僕たち3人の前を歩いている愛犬を見ながらふと思った。
犬は勿論言葉では我々とは”喋って”はいないが、僕たちの歩いているペースや言葉のイントネーション、又は”勘”を働かせコミュニケーションを取っている。いわゆる”参加”をしているのだ。
犬は犬で色々と楽しんでいるのだが(走ったり、鳥を追っかけたり)。時よりこっちに振向き私たちと一緒にいる事、参加している事をまるでテレパシーでそれを言っている、送っているように感じる時が何回かあった。
僕がオカシイ事を書いているように思われるかもしれないが、要するに幼児の様子を見て色々と判断をするお母さんもこういう”テレパシー”が動いているのではないでしょうか?

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もっと広く言えば、この場所にもそれを感じさせる”何か”がある。日本では何でもかんでも、すぐ”パワースポット”と名付けたがるが。。。
ペイガニズム(パガ二ズムとも言う)で知られている国(民族)のルーツであり、それに欠かす事の出来ないのは”森・山・自然”が存在する。皆さんもご存じであろう”妖精”の童話や物語で登場する場所も森であったり、自然がその一つの設定だ。
その昔(?)日本にもそれは存在したし(していると信じている)、それが国の基盤となる宗教観やスピリチュアリズムであったりする。残念ながら商業に走ってしまった世の中では我々人間はそれを受け入れ、自分の血と骨に変える事を忘れてしまった。

日本でも(僕の中では)そういった場所がいくつくはあるし、定期的行ってみたりもした。正直、イヤラシイかもしれないがそういった”力”(パワースポットという言葉は使いたくないです)にもあやかっていた自分もいたのも事実です。

しかし今日はその力を久しぶりに感じ本当にバッテリー(心)がチャージされた気分になった。

この場所の神聖さを物語るかのように、山の奥地には誰が運んで来たのだろうかと思う大きな十字架が置かれていた。
昔聞いた話によると、キリスト教が普及した時、現地住民(非キリスト教)が以前から”神聖”としていた場所は破壊され、そこに十字架や新たな教会等が建てられ、あげくの果てにはその方々の生活カレンダー(風習)に基づく儀式をそのままキリスト教に使用したりもした(イースターが一つの例)

その不思議な殺風景な場所に建っている十字架を眺めながらそう思った。

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不思議な歴史のイタズラとでもいうのか、そのキリスト教に支配されてしまった民族が今度は自ら大陸と海を渡り、私が生まれ育った南米に辿り着き同じ手法で現地のペイガン(パガン)風習を破壊。
その残った瓦礫が今は世界遺産等と崇められ、事実は支配された側と支配した側のリップサービスを形は違えど聞き入れるしか道は残っていないのでは思ってしまう。

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