Night and Day

生きてます、はい。文書を書くのは正直億劫に感じる時もあるんで中々すすみません。やっぱり商売上、五感の一つの視覚がどうしても中心になるので言葉で表現するのが苦手になってきます。職業病かもしれません(笑
しかし、現在は喋れない事がもどがしく感じる事もあるんで、出来るだけコミュニケーションは図って行くようにしてます。伝えたい事、理解したい事、好奇心、発見。それらは一つ一つ宝です。このブログを始めた理由もコミュニケーションが目標であり、たまにこうした物を皆さんと分け合う事が喜びです。

もちろん日本に居た時からコミュニケーションは良いタトゥーを仕上げるためにはとても重要な役割を持っているという自覚はありました。恥ずかしながら、実際にこの仕事を始めてから数年経ってから分かった事です。
最初は自分の浅学、低知識を隠す為になるべく喋らないように心がけていたかもしれません。又は単なる照れくさかっただけかもしれません。
なんせ、この仕事はお客さんと文字通り”肌と肌”の付き合いになるわけだけだから普通の接客業とは異なる。最初はその感覚についていくだけでも結構大変な思いをしました。
そういう事で、昔僕の所に来ていただいて無口な自分に不愉快な気分になられた方はこういった事情があったからです、ゴメンなさい(笑

アートとはアーティストが描いた絵や音楽を気に入った方々がそれを買ってサポートしていくという仕組みなっているんではないかと思う。
ミケランジェロやバッハをサポートした王室や資本家がパトロンとなったからこそ制作力に繋がったであろうし、素晴らしい作品を残せた大きな役割をはたしたに違いない。

それをタトゥーに例えるとスポンサーはお客さんになるわけだ。但し、大きな違いは最終的にはそのお客さんの体に一生その作品が宿るわけだから、お客さんの意見は結構な割合で大切である。
色々な芸術、アート表現がある世の中でも独特だと思われる部分はそういったとこもあるでしょう。
要するに商業的アート(コマーシャルアート)と呼ばれたり、又はフォークアート(民芸)と呼べるか。
過去の偉大なるアーティスト達も好き勝手に作った作品の中にオーダーを受けた上での物も含まれているんで、それらがコマーシャルアートと呼ばれる事はない。かと言ってタトゥーを民芸の部類に当てはめるのも難しい。いわゆる民芸品と呼ばれる物は飾り等として作られた物もあるが、日常的に生活の中で使う物でもある(かご、お皿、鏡、etc)。タトゥーは日常生活でどういう役割をはたしているのか。震災後に常に考えていたテーマの一つです

ではタトゥーも同じくオーダーは受けるがクライント(お客さん)とビルダー(作り手)という位置関係はどういう物になるのか。
彫師が自分の意見だけを押付けてもダメだし、お客さんのオーダーにも技術的に間違っている場合もある。それをアドバイスしながらタトゥー目線で肌の上にそれらのアイデアをどうスライド出来るかがいい作品を左右する。
そこから文字通りコミュニケーションが始まり、後々お客さんとの肌と肌のコミュニケーション(スキンシップ?)に発展していくのだ。

今は自分の語学力に限りがあるので作品でお客さんに自分の気持ちを伝えていくしかない。小さい事だけど、食事時間をずらしたり、休憩を返上して彫り続け、もちろん相手の事も気配りしながらガツガツせずに作業態度でのコミュニケーションがメインになる。
それだけでは限りがあるのは分かっているんで、これから自分への課題として考えていきたい。

ただ語学上制限がある事で改めて視覚メインで勝負をしていく事の再確認にも繋がり、下絵、写真、色のサンプルを見せながら打合せをして信頼を得ていく大変さと喜びを実感しています。まさに陰陽。昼と夜は姿は違えど私たちの体内に交差しているんです。
数年後、またこうして無口な俺のせいで不愉快な思いをした方々に誤っているかもしれません(笑

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Published by Carlos aus Tokyo

Esoteric International player, attitude holder, natural born rebellious, tattooer of the masses. Owner of hännyahead tattoo

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